リスボンで一番古い街並みを残す

2011.06.29

人々は、地道な農業を放り出し、家財道具を売りとばし、熱にうかされたように一獲千金をもくろむ商人となって、テージョ川沿いに群れをなしていた。ここでは、船から降ろされる香料のほかに、金、銀、象牙、木材などが取引されていた。やがて、ポルトガル人の大航海時代にかけるエネルギーや商売への才気は、さらに東にのびる。インドのゴアを攻略(一五一〇年)したポルトガルは、翌年、東インド洋と太平洋を結ぶ要衝マラッカを占領、さらに中国への足掛りを得るが、一五四三年にはポルトガル船の種子島漂着によって日本との交流がはじまるのである。天文一二年のいわゆる鉄砲伝来の年だが、宣教師である聖フランシスコ・ザビエルも、これより六年後の一五四九年鹿児島に入港、日本各地での布教活動に入る。大航海時代というひとつの栄光の時代が、ポルトガルと日本を結びつけていったのであった。「悲しきポルトガル」時の曲がり角両腕を広げいつも待っていてくれる私の国よあなたの足音を数え消えた足跡をたどり私はあなたの後を追うのです目が覚めた私の眼差しはうつつへと見開かれ私は深く更に深く私の中へ落ちて行く時の曲がり角で姿を消した私の国余りに小さ過ぎて大き過ぎる悲しいポルトガルでも私はおまえをこう思うのですこの民の心にいつも新たな愛を抱かしむそういう国なのだとファドを聞きたいと、日の暮れるころ、リスボンで一番古い街並みを残すアルファマ地区を訪れた。