家では勉強はほとんどしていませんでしたし、成績にうるさい割に宿題がでていることもよくは知らない我が家の母親は、このころは意外とさっぱりしていて、「宿題やったの?」と聞いて、「うん」といえばもう安心という具合でしたから、やはり家庭学習量は、ほとんどゼロに近かったと思います。たまの休みの時、ゲームばかりやっている三男に、「プリントやれば」と見るに見かねて言うと、その時だけは、「わかった」とばかりテーブルに向かい、確かに解いているのですが、算数だけだったように記憶しています。塾の国語や社会の先生達からも宿題をやるように言ってばもらえないだろうか、と頼まれたこともありました。「お宅の長男も次男も宿題忘れは多かったけれど、三男のそれはその比ではない」と遠慮がちにではありますがハッキリと言われたこともありました。確かに家の中に塾の教師が住みついているというのは、子供にとってはかなり迷惑な話だろうな、と思っていました。逆にその気づかいが、家では勉強はしなくていいもの、となっていたのかもしれません。ですからこの当時、私たちが三男にしてあげたことは四谷大塚に毎週日曜日に通わせたということくらいだけともいえるのです。小学校六年生の春、少し子供も親も疲れてきて、健康などにも不安を感じる頃のことでした。「どう大変?」と、夜遅くの迎えの車の中で母親が聞きました。そうすると三男は、「こういう勉強はおもしろい」とはっきり言いきったのだそうです。思い出せば小学校の三年生からバスと電車を乗り継いでの遠距離の塾通いを強制してきた鬼の親として、これ以上はないうれしい言葉だったと思います。