炭素アーク灯を発明したのは英国のハンフリー・デイヴィーである。彼は1800年代の初めに「ボルタの電池」(希硫酸のような電気を通す液体に、導線でつながれた銅と亜鉛を浸すと、銅から亜鉛に向けて電流が流れる。この原理を利用した電池)を用いて電気分解の実験を行なっていた。この実験によって、化学反応を起こしやすいために、化合物ではない状態(単体)で分離するのがむずかしかったナトリウムやカリウムなどのアルカリ金属を、初めて単離するという輝かしい成果を挙げたのだが、実験の過程で電極に使った2本の炭素棒の問に生じる強い白い光を発見したのである。空気は、ふつうは電気を通さない「絶縁体」である。しかし、空気中の二つの電極の間に高い電圧がかかると、問の空気が急激に電離(イオンになること)されて絶縁が破壊される。そうすると電極の問に電気が流れ、光が発生する。これを放電と言う。雷雲が発生したときに、稲光が起こるのと同じ現象だ。炭素アーク灯は、気体の放電の最終段階に起こる「アーク放電」を応用した技術である。デイヴイーは1808年にボルタの電池を2000個もつないで、この新しい明かりの公開実験を行なった。多くの科学者や技術者が、この「アーク放電現象」に興味をもち、この光を明かりとして使うためのさまざまな改良が行なわれた。すると同時に、炭素アーク灯が普及するために解決する必要のある基本的な問題が浮かび上がってきた。まず、アーク(電弧)を安定に保つための、二つの電極の間隔を一定に保つ装置の開発。アーク放電が起こると、電極である炭素棒の一部は熱のために蒸発して気体になってしまう。つまり、使っているうちにすぐに炭素電極が消耗してしまうため、電極間の距離が長くなり、アークが消えてしまうからだ。また、公開実験が電池を2000個も使ったものであったことからもわかるように、この現象を起こすためには多量の電力が必要なので、電力を安定して供給するための発電機の開発。そして、なるべく燃え尽きない炭素電極材料の開発などである。そのような技術がほぼ出そろったのは、1870年代になってからであった。